永和信用金庫の違法な払戻、手形の未変換について、悪意、過失の重要な証拠

預金債権、損害金の一欄

1、昭和48年3月7日付け払い戻された金130万円

2、同年3月22日付け払い戻された金80万円

3、同年7月6日付け金100万円の手形貸付金

4、昭和49年4月11日付け払い戻された金120万円

5、同年6月24日付け払い戻された金320万円

6、同年7月2日付け払い戻された金150万円

7、同年8月26日付け払い戻された金34,260円

8、同年11月16日付け払い戻された金15,005円

9、振出人大山哲平、額面金50万円、満期昭和48年9月27日の約束手形一通の未返還

10、振出人水原正子、額面金100万円、満期昭和48年10月1日の約束手形一通の未返還


金庫職員の求めに応じ印鑑を預けたが、何枚もの白紙の払戻請求書に印鑑を押し、私の知らない間に書類を作っていた。金額や署名は立岩が書いたものである。

そしてその額面の金額を渡した相手を言えないという。こんな馬鹿な話があるでしょうか。

一覧のすべての書類は私が関与していないもので、金庫職員が勝手に作ったものである。

●(甲110号証より抜粋)

昭和50年2月27日午後1時に巽支店に本店から、管理課・森田実氏と審査課長・五十棲義明氏の二人が来て支店会議室で谷支店長、檜垣安紀、勝原史郎、末益達行、立岩正男、田中良政等の金庫職員を一同に会い、本店の森田氏から、その説明を聞きました。

私は、村上氏、安東氏を同道していましたので両氏も同席して貰いました。

この会議で私は、私がこれまで調べた事について不審に思っていた事を質問したのです。

その一例として、代筆を頼んだ事が無かったので私の筆跡でない 320万円 の出金伝票(乙第5号証)が有るので、それについて私は、
「この出金伝票を作成したのは誰か」
と質問すると列席の立岩が
「私が書きました」
と返事したので私は
「この出金伝票の金を出金したのは私か、それとも妻、弟のうち誰か」
と問いただすと、立岩は
「それは、違う」
と答えるので、私は
「では、この金は、誰に渡したのか」
と聞き直したら、立岩は
「金は誰に渡したか、それは言えん」
と証言していたのです。

立岩の、この証言で私が、この出金伝票の金を出金していないことが判明します。

ここが一番大事なところなので追求したが、「答えろ」「言えない」で押し問答になったが、
本店の森田実氏が、言葉を挟んで
「吉川さん、いくら位、金が無くなったと思いますか」
と聞くので、私は
「少なくても1,000万円位は無くなっている」と答えました。

このときに、本店から持参して貰った資料が(甲65号証、甲102号証)です。

この資料を見ながら、私は、森田氏に
「本店作成の資料を私が調べて不審な点や不正箇所があったら、どう対処するのか」
と質問すると、森田氏は
「一つでもおかしい箇所や不正があれば全責任を負います」
と明言しました。

そして、話し合いが終わり、帰り際に檜垣が私達に金庫の玄関で
「何億円の金を使っても金庫の面子は保ってみせる」
と明言しました。

この檜垣の発言を聞いて、私は、右の森田氏の発言と余りにも、かけ離れている事に驚き、金庫は自らの不正を認めつつも、どんな手段をとってでも私の主張をおさえこんで見せると、宣戦布告してきたと受け止めざるを得ませんでした。

私は、本店作成の資料に基づいて調査して来ましたが、これだけ沢山の不正な証拠があるのですが、どのように対処するのか本店の森田氏に問いたい気持ちで有りますが、もはや森田氏は退職していたのです。

また、その後谷口弁護士や村上博志が私に各300万円の和解金を支払ったことからも、檜垣が金を使って金庫の体面を保とうとした事が伺われる。

甲110号証は藤原弁護士を通じて提出したもので、藤原弁護士はすべてを理解しており、受任当初は「勝てる」と言っていたが、控訴判決が5度ほど延期され3月の予定が11月になった。

この間に、藤原と永和、さらに勘ぐれば裁判所とも何か裏取引があったのではないかと思われて仕方がない。

裁判では改ざんされた金庫側の証拠書類が採用され、小さな個人の訴えは却下され、敗訴したが、こんな悪徳弁護士や悪徳信用金庫を絶対許すことができないし、あきらめることはできない。