藤原弁護士からの回答その②

回答書に対する反論②

◎甲110号証(陳述書)より抜粋

昭和50年2月27日午後1時に巽支店に本店から、管理課・森田実氏と審査課長・五十棲義明氏の二人が来て支店会議室で谷支店長、檜垣安紀、勝原史郎、末益達行、立岩正男、田中良政等の金庫職員を一同に会い、本店の森田氏から、その説明を聞きました。

私は、村上氏、安東氏を同道していましたので両氏も同席して貰いました。この会議で私は、私がこれまで調べた事について不審に思っていた事を質問したのです。

その一例として、代筆を頼んだ事が無かったので私の筆跡でない 320万円の出金伝票(乙第2号証)が有るので、それについて私は、
  「この出金伝票を作成したのは誰か」
と質問すると列席の立岩が
  「私が書きました」
と返事したので私は
  「この出金伝票の金を出金したのは私か、それとも妻、弟のうち誰か」
と問いただすと、立岩は
  「それは、違う」
と答えるので、私は
  「では、この金は、誰に渡したのか」
と聞き直したら、立岩は
  「金は誰に渡したか、それは言えん」
と証言していたのです。

立岩の、この証言で私が、この出金伝票の金を出金していないことが判明します。

ここが一番大事なところなので追求したが、「答えろ」「言えない」で押し問答になったが、本店の森田実氏が、言葉を挟んで
  「吉川さん、いくら位、金が無くなったと思いますか」
と聞くので、私は
  「少なくても1,000万円位は無くなっている」
と答えました。

このときに、本店から持参して貰った資料が(甲65号証、甲102号証)です。この資料を見ながら、私は、森田氏に
  「本店作成の資料を私が調べて不審な点や不正箇所があったら、どう対処するのか」
と質問すると、森田氏は
  「一つでもおかしい箇所や不正があれば全責任を負います」
と明言しました。そして、話し合いが終わり、帰り際に檜垣が私達に金庫の玄関で
  「何億円の金を使っても金庫の面子は保ってみせる」
と明言しました。

この檜垣の発言を聞いて、私は、右の森田氏の発言と余りにも、かけ離れている事に驚き、金庫は自らの不正を認めつつも、どんな手段をとってでも私の主張をおさえこんで見せると、宣戦布告してきたと受け止めざるを得ませんでした。

昭和50年3月初旬、金庫に行き貸付担当の立岩に会い、これまでに私は、代筆を一度も 頼んだ事が無いのに沢山の筆跡違いの出金伝票があるので、後任の店長である石井正澄氏(この時はまだ店長ではなかった)の了解を得て、私の車で金庫から5分位の私が経営する麻雀店の近くの東大阪市渋川町の路上に車を止めて、車の中で立岩に問いただしたのです。私は
  「俺は出金伝票の代筆を一度も頼んだ事が無いのに筆跡違いの出金伝票があるのは何故か」
と質問すると、立岩は
  「一度も代筆を頼まれた事は無い」
と証言したので、私は
  「俺の印鑑を不正に使用して出金伝票を作成しているが誰に頼まれて代筆をしているのか」
と聞くと立岩は、黙ったままで返答しませんでした。

私は金庫と取引してから、これまでに応接室及び店頭で数回となく金庫職員に言われるままに印鑑を渡した事が有りますので私の預金から無断で出金していたので筆跡違いの出金伝票が、有ります。

◎証人調書より抜粋(昭和58年11月9日、証人立岩正男)

原告代理人

14 乙第2号証の払戻請求書はあなたが書いたのでしょ。
「そうです。」

15 前回の証言では、あなたは現金が動かずに従来の貸付金の返済にあてられる場合には自分で代筆することが多いということですが、これは現金がそのまま出て行くのでしょ。
「はい。そうです。」

16 前回の証言と食い違ってますね。
「客から依頼があった時は代筆することがあります。この320万円の払戻請求書の時も吉川さんの依頼で代筆したものです。」

17 この払戻請求書の件で吉川さんと話をしたことがありますね。
「はい。渋川町の車の中で話をしたことがあります。」

18 その時、あなたはどう説明したのですか。
「当時はわからない。ということを言ったと思います。」

19 何がわからないのですか。
「・・・・・・。」(答えず)

20 署名についてはどう言いましたか。
「これは私の字だ。といいました。」

21 代筆を吉川さんが頼んだかどうか聞かれたでしょ。
「はい。」

22 どう答えましたか。
「記憶にありません。」

23 金はどこへ行ったと言いましたか。
「当時は誰に渡したかわからないと言ったと思います。」

24 誰に渡したか言えん。と言ったのではないですか。
「そんな事はいってません。」

裁判官

25 吉川さんと車の中で話をしたのはいつ頃のことですか
「記憶にありません。」

26 吉川さんと車の中で話をした時には既に吉川さんといろんなトラブルが発生していたのですか。
「あったと思います。」

27 吉川さんと車の中で話をした時、金庫のほうではどの程度この件について調査した上で吉川さんと会ったのですか。
「時期がいつ頃であったのかは忘れました。」

原告代理人

28 吉川さんがどうもおかしいということで書類の提出を求め、ここがおかしいと指摘されて後の話でしょ。
「・・・・・・。」(答えず)

29 昭和50年の2月か3月のことではありませんか。
「そのころだと思います。」

30 320万円はどうなったのですか。
「吉川さんに渡しています。」

◎原告代理人の質問はこの答えに対する追求は無く、次の質問に移っている。これでは金庫の不正で金員を失ったとして訴えたはずの裁判だったが、立岩のこの証言が印象付けられ、負けても仕方が無い。

この原告代理人は途中で裁判を投げ出した前任の谷口弁護士だが、甲110号証は後任の藤原弁護士を通じて提出したもので、藤原弁護士はすべてを理解しており、巽支店会議室で金庫職員8名、私の友人、村上と安東そして私の前で、立岩が「吉川さんと吉川さんの身内には渡していない」、「金は誰に渡したか、それは言えん」と証言していたことも知っていたので、上記では肝心な質問には曖昧に答えていた立岩だが、最後の明らかな「吉川さんに渡しています。」という偽証を実証すれば裁判は勝てたかも知れない、いや、勝っていた。

勝つための行動、つまり巽支店会議室に出席した金庫側、私側の出席者全員を証人として証言してもらえば偽証の立証が出来、裁判は勝利していた。私の証人要請の意見に対し、ことごとく回避したのは何故か。負けるべくして負けた裁判だった。

受任当初は「勝てる」と言っていたが、控訴判決が5度ほど延期され3月の予定が11月になった。この間に、藤原と永和で何か裏取引があったというしかない。

裁判では改ざんされた金庫側の証拠書類が採用され、小さな個人の訴えは却下され、敗訴したが、こんな悪徳弁護士や悪徳信用金庫を社会的にも絶対許すことができないし、あきらめることはできない。